平和島レディースクリニック

診察室では説明しきれないことを中心に

「病は気から」っていうのは事実

みなさんは、

 

プラセボ

 

という名前をお聞きになったことはあるでしょうか。

 

日本語で

 

偽薬

 

と訳したりします。

 

 

偽の薬、つまり「薬として作用する成分が何も入っていない、単なる粒」ということです。

 

なぜ、そういうものが存在するかと言うと、ある薬の作用や副作用を調べる時に使うのです。

 

まずは、薬を飲んでもらう人100人に集まってもらいます。

 

それだけだと、薬が効いてるのか効いてないのかわからないので、同じように100人集まってもらって、そちらのグループには、薬ではなく、プラセボを飲んでもらうのです。

 

そして、大事な点は、飲んでいる人はもちろん、処方している医師ですら、その人が薬を飲んでいるか、プラセボを飲んでいるかわからないのです。

 

薬かプラセボかを把握しているのは統計を取る立場の人だけ。

 

そうして、何週間か何ヶ月間か継続してもらってデータを集めます。

 

 

その結果、プラセボより薬の方が改善している人が多ければ、その薬は効果がある、と判断されます。

 

そういったデータを製薬会社から見せてもらって、我々は勉強していているのですが、よくあるのは薬を飲んでいるグループは7〜8割の人が改善しました、というデータ。

 

おぉ、結構改善している。副作用も少ないみたいだし、結構いいんじゃないかな。

 

 

と、ここで目を写します。プラセボを飲んでいるグループの結果に。

 

5割の人が改善している!?

 

いやいや、何の効果もない単なる粒を飲んでるだけなのに、半分もの人が良くなっている!?

 

 

病は気から

 

 

これを目の当たりにするのです。

 

確かに薬を飲んだ方が治りがいいのはわかります。でも、薬じゃなくても、結構な割合で症状が良くなっているなら、何も薬だけに頼らなくていいんじゃないか、という思いが出てきます。

 

 

 

急を要する病気でなければ、薬を飲む時、プラセボか薬かランダムで処方されるシステムがあってもいい気がします。

 

そして、薬かプラセボがわからないシステムを選んだ場合に限り、薬代が3割安くなる、とか。

 

 

高齢化が進む中で、増大する医療費に対する一つの手になるのではないでしょうか。

 

 

 

 

医師を目指したきっかけ

医師として働いていて、よく聞かれるのは「ご両親はお医者さんですか?」という質問です。

 

世間的には医者の子供が医者になる、という印象が強いようですが、私の両親は医師ではありません。母は専業主婦で、父は普通のサラリーマンでした。

 

父方の家系には医療関係者はほとんどおらず、母方の家系に何人か医師がいるのですが、私自身が医学部に入るまで、そのような情報は知りませんでした。

 

しかも、父は大の医者嫌い。というより、民間療法が大好きで、西洋医学に真っ向から反対していました。

母も「医者になったら、死ぬまで勉強し続けないといけないから大変だよ」と、あまり医者になることを勧めない環境で育ちました。

 

そんな中で私が医師を目指そうと思ったのは、13歳の頃。未だに鮮明に覚えている「難民キャンプ」の取材をしたニュースを見た時でした。

 

何度か「難民キャンプ」という言葉は聞いたことがあり、「キャンプ」というくらいだから、数日や数週間単位でのお話だと思っていました。

 

ただ、その「難民キャンプ」は取材した1年前の映像と、その1年後の映像が全く変わらなかったのです。

 

しかも、1年前にそのテント内で妊娠していた女性が出産して、赤ちゃんを育てていました。

 

その報道を見て、「キャンプ」というより「住居」になっていることに、子供心に衝撃を受けました。

 

画面の中に医師は出てきませんでしたが、当時の自分は「難民キャンプ」のように大変な思いをしている人のために働きたい、と強く思いました。

 

最も役に立つ資格は何か考えた時に、「医師免許」があれば、目の前の人を助けることができるんじゃないか、と医師を目指すことにしました。

 

そういった世界で活躍する医師が「国境なき医師団」という組織を作っていることも知り、医師になるまでは「国境なき医師団」に入るつもりでいました。

 

医師になってからは違う道を選び、今は産婦人科医として日本国内で働いていますが、もし違う人生を選べるのだとすれば、「国境なき医師団」で働きたい、という想いもあります。

 

開業したばかりですが、何年か経って落ち着いたら、そちらの仕事にも関わってみたいと思っています。何かを始めるのに遅すぎることはないですからね。

 

ということで、下のSK-Ⅱさんの「期限なんてない」というCMにうまくつながりました。

 

 

 

 

 

 

 

妊娠と有機溶剤の曝露について

先日、仕事で「有機溶剤」を使っている方から妊娠に対する影響を質問されたので、少し文献を調べてみました。


Kristen I. Mcmartin MSc,et al.: Pregnancy outcome following maternal organic solvent exposure: A meta-analysis of epidemiologic studies, Am. J. Ind. Med. 34:288–292, 1998.


この論文では7036人の調査をしたところ、有機溶剤に曝される仕事をすることで奇形の確率が1.64倍になり、2899人の調査で流産の確率が1.25倍になりました。



Attarchi MS1, Ashouri M, et al.: Assessment of time to pregnancy and spontaneous abortion status following occupational exposure to organic solvents mixture. Int. Arch. Occup. Environ. Health. 2012 Apr;85(3):295-303


この論文では、有機溶剤に曝される仕事の女性では流産率が10.7%になり、有機溶剤に曝されない女性では流産率が2.9%となりました。2.9%というのはさすがに低すぎるので、何か他の原因も関与している可能性はありますが、有機溶剤が流産率を上げる可能性はありそうです。


いずれの論文も、「有機溶剤に曝される仕事かどうか」という大まかな分け方であり、どの程度曝されると問題なのか、というところまでは分析されていませんでした。




そこで、「有機溶剤に曝される程度」について分析されている論文を調べました。


Sohail Khattak et al.: Pregnancy Outcome Following Gestational Exposure to Organic Solvents, JAMA. 1999;281(12):1106-1109.


職業上、有機溶剤を扱っている125人の女性に対して調査したところ、胎児の奇形リスクが13倍にもなった、という結果になりました。


詳しく見てみると、有機溶剤による有害な症状(眼や呼吸器系への刺激、呼吸困難、頭痛など)があった75人の女性には胎児に奇形が生じましたが、そういった有害な症状が出なかった43人の女性の中には1人も奇形の胎児がいなかったのです。


また、有機溶剤を扱っていた期間を7ヶ月以上の群と、3~7ヶ月の群に分けて分析したところ、7ヶ月以上の群では、16人の胎児が出生時に蘇生処置が必要となった一方で、3~7ヶ月の群では、1人しか蘇生処置が必要になりませんでした。



以上のことより、妊娠中の女性が有機溶剤を扱う仕事にはデメリットがあるのですが、それは有機溶剤に関わる期間の長さであったり、防護マスクや換気によって有害な症状が出ないように管理されているかどうかが、とても大切なことがわかります。



職場によって、有機溶剤に対する防護や換気の状況はまちまちだと思います。


妊娠を機に職場の配置転換が可能であればいいのですが、もし配置転換も厳しく、換気が不十分な環境であれば、妊娠を理由に環境整備を申請してもらいたいと思います。

バルトリン腺の腫れについて

デリケートゾーンの痛みについて、以前ブログを書いたのですが、その中でも


バルトリン腺


について、まとめたいと思います。



バルトリン腺とは、腟の左右に1つずつある粘液を分泌する部分です。その粘液が出てくる部分が何らかの原因でつまった場合に、バルトリン腺から出口に向かう管の部分が腫れてしまって、症状を引き起こします。


まず、小さくて症状が軽い場合には、何もしなくて大丈夫です。自然に無くなってしまうこともありますし、小さいまま放置していても、特に問題になることはありません。

「小さい」基準ですが、だいたい親指大くらいです。これくらいの大きさだと、次に説明する「穿刺」と言う処置をしても、あまり効果的に中身を抜けないことが多いので、経過を診ることが多いです。


ただ、ある程度大きくなって違和感が強くなったり、中にバイ菌が入って痛みが強くなった場合には、外来で「穿刺」して、中身を抜いてしまった方が早く楽になります。


外来で簡単にできる処置なので、あまり違和感が強かったり、痛みが強い時には、相談にいらしてください。

「簡単な処置」と言っても、針を刺さないといけないので、どうしても「針を刺す」痛みはありますが、その痛みを乗り越えれば、中身が抜けて楽になることが多いです。



このように「簡単な処置」で中身を抜いたとしても、繰り返して腫れてしまうことが多いのが難点です。


頻繁に繰り返す場合には、局所麻酔をした上で、バルトリン腺の出口を作ってあげることもあります。

開窓術

造袋術
とも言いますが、簡単な「穿刺」よりも再発リスクは低くなります。


最後に、根本的に治す方法としては、バルトリン腺そのものを取ってしまう手術があります。これは、本格的な手術になるので、入院して手術することが多いです。


造袋術や開窓術、根本的に取ってしまう手術に関しては、バイ菌が入ってしまって赤く腫れているときには手術ができないので、抗生物質を飲んだり、一時的に穿刺して症状を抑えたりしてから、手術することが多いです。


そうは言っても、実際に手術が必要なのかどうか、いま手術ができる状況なのかどうかは、なかなか判断が難しいと思いますので、もし痛みがあったり、違和感が強い時には、一度診察にいらしてくださいね。

不思議な飲み物

お題「おばあちゃんの思い出」

 

私の祖母は京都に住んでいました。

 

私自身、京都の病院で里帰り出産だったのですが、家は滋賀県だったので、年末年始には京都にある祖父母の家に遊びに行っていました。

 

鴨川沿いにある中華料理屋さんで、お皿を乗せた台がクルクル回るのを初めて見て、大興奮したのを覚えています。それ以来、お正月といえばおせち料理より「クルクル回る中華料理」と言うイメージが付いてしまったくらいです。

 

また、別のお正月には、京都市内のホテルで親族一同が集まって、バイキングで正月を祝ったことも何度かありました。

 

いとこの中で私が1番小さかったので、毎年みんなに可愛がってもらい、とても楽しかった記憶があります。

 

 

そんな中で、おばあちゃんの思い出といえば、おばあちゃん家に行くと必ず出してもらえる、甘くて美味しい飲み物でした。

 

家では、あまりジュースとかは飲まなくて、基本的にご飯の時は水かお茶とだったので、この「おばあちゃん家の甘い飲み物」は本当に魅力的だったのを覚えています。

 

いつしか、お正月にしか飲めない特別な飲み物になっていて、毎年それが楽しみでおばあちゃん家に行ってました。

 

 

ところが、大学生になった頃、ふいにその「不思議な飲み物」の正体を知ることになりました。

 

大学に進んで一人暮らしを始めて、何気なくレストランで頼んだ飲み物が、まさしく「おばあちゃん家の甘い飲み物」だったのです。

 

 

それは

 

ミルクティー

 

でした。

 

 

・・・すいません、大したオチではなくて。

 

でも、個人的には大発見でした。

 

ミルクティーという名前だけは聞いたことがあったけど飲んだことのない飲み物が、まさかずっと気になっていた飲み物だったのですから。

 

 

それ以来、ミルクティーを飲む度に、おばあちゃん家の庭に面した椅子に座ってみんなで飲む光景が懐かしく思い浮かびます。

 

 

私にとって、おばあちゃんの思い出は、ミルクティーとクルクル回る中華料理なのです。

 

と思っていたら、その「中華料理屋さん」を取り上げているブログを発見しました。

 

http://kuchiki-kohjiro.hatenablog.com/entry/2017/07/02/050500

 

当時も今も変わらない、雰囲気のある建物です。お近くに行かれた際は、ぜひ一度行って見てくださいね。