赤ちゃんの命を救えた話
誰かが、赤ちゃんなんて自然に産まれてくるんだから、自分でもお産ができる、と言っていたようですが、確かに今まで関わってきたお産の9割以上は私がいなくても、何の問題もなく終わっていたお産だったと思います。
そんな中で、これは赤ちゃんの命が救えたな、と思える出来事があったので、今回はそれについて書きたいと思います。
その妊婦さんは、まだ18歳でしたが、二人目を妊娠して、私の外来を受診しました。
パッと見た感じは、とても1児のお母さんには見えない、良くも悪くも「若く」見える妊婦さんでした。
外見はそんな感じなんですが、そこはやっぱり1児のお母さんですから、今回の妊娠に関しては特に不安な訴えもなく、しっかり妊婦検診を受けてもらっていました。
いつも赤ちゃんを抱っこして受診していたのですが、旦那さんはお仕事があって、妊婦検診中は一度も一緒に来られることはありませんでした。
そうして何事もなくお腹の中の赤ちゃんは大きくなり、37週を迎えて、もういつ産まれても問題ない週数になりました。
そのあたりになってくると、1週間ごとに検診があるのですが、まだまだ産まれる気配がありません。
結局、予定日を過ぎて、41週に差し掛かろうかという段階になって陣痛がきたため、夜9時頃に入院となりました。
子宮の出口も順調に開いてきて、何の問題もなく産まれるかな、と思っていたら、夜中2時頃に助産師から「少し出血が多いです」との報告。
診察に行ってみると確かに出血が少し多いかな、という程度でした。
お母さん自身は、陣痛が収まっていて、何の違和感もない、とのこと。
NSTと言って、赤ちゃんの心拍数を測って、赤ちゃんが元気かどうかチェックするモニターも異常はありません。
それでも、念のため超音波を当ててみると、赤ちゃんは元気に動いているものの、どうも胎盤の様子がおかしいのです。
本来であれば、子宮の壁に胎盤はしっかりくっついているので、超音波で診ると、子宮の壁と胎盤が連続しているように見えるのですが、その時は子宮の壁と胎盤の間に黒く抜けるスペースがあるように見えました。
ただ、そのスペース自体も1センチとか2センチ程度に少しまだらに見えていて、果たして意味があるものなのかどうか、、、
何かが起こるとすれば、
常位胎盤早期剥離
と言って、赤ちゃんが産まれる前に胎盤が剥がれてしまう状況なのですが、あまり典型的な所見ではありませんでした。
典型的には
お母さんのお腹が板のように硬くなる
出血が多くなる
赤ちゃんのモニターの所見が悪くなる
超音波で胎盤が分厚くなる
などの状況が揃うのですが、その時は出血がやや多いかな、という程度で、超音波での所見もハッキリしませんでした。
このまま、何事もなく赤ちゃんが産まれても、「心配しすぎだったかな」って片付けられる程度だと思っていました。
ただ、もしも常位胎盤早期剥離だとすれば、超音波の見え方が時間経過とともに変化するはずなので、その午前2時の段階だけでは何とも言えません。
万が一、常位胎盤早期剥離だったとすると、緊急で帝王切開をしなければ赤ちゃんもお母さんも危険な状態になります。
そのため、まずは病棟のスタッフに、緊急帝王切開になるかも、という可能性だけは話して、心の準備だけはしておいてもらいました。
そして、20分ほどしてから、もう一度診察してみると、お母さんの状態も赤ちゃんの状態も全く変化はないのですが、超音波の見え方が微妙に変わっていたのです。
胎盤と子宮の間のスペースが、さっきまでは1〜2センチだったのに、1.5〜2.5センチくらいはあるように見えます。
これはもう常位胎盤早期剥離と判断していいのではないか。
教科書的にはお母さんのお腹が板のように硬くなるし、NSTという赤ちゃんのモニターも悪くなる、って書いてあるけど、全然そんなのは揃っていません。
ただ、どう見ても超音波の見え方がおかしい気がします。
万が一、緊急帝王切開をするとなると、産婦人科医も麻酔科医も小児科医も手術室のスタッフ
も集めないと行けません。
それだけのスタッフが集まるのに、30分近くかかる可能性はあります。
赤ちゃんは元気な様子。お産も進んでいて、子宮の出口もどんどん開いています。
このまま何事もなく産まれるかもしれない。でも、緊急帝王切開した方がいいかもしれない。
スタッフを集めるかどうか電話の前で考えていました。横には赤ちゃんのモニターがあり、元気一杯なサインを示しています。
最後の最後まで悩みましたが、緊急帝王切開という方針に決定し、スタッフの招集を始めました。
各部署に電話をかけ始めた所で、横にある赤ちゃんのモニターが少し変化し始めました。今すぐ赤ちゃんを出してあげないといけない程ではないものの、ほんの少し苦しいのかな、というサインが繰り返されるようになってきたのです。
やはり帝王切開で良かったのかな、と思いながら、どんどん準備を進めていると、見る見るうちに赤ちゃんのモニターが悪くなっていきます。
もう帝王切開に向けて動き出しているので、ここから出来ることは何もありません。一刻も早く赤ちゃんを出してあげるだけです。
急いでお母さんを手術室に運びます。
麻酔がかかった瞬間にお腹を切って、あっという間に赤ちゃんを出してあげられました。
赤ちゃんは出てきた瞬間、大きな声で泣いてくれました。手術室の中に安堵の空気が流れます。
ここまでくれば、もう大丈夫。スタンバイしてくれていた小児科の先生も安心した様子で赤ちゃんを診てくれています。
こちらとしては、あとはお母さんのお腹を閉じるだけ。その前に、子宮から胎盤を出さないといけません。いつものように胎盤を剥がして子宮から出した瞬間、
ゴロゴロゴロッ
と塊が出てきました。本来は、そんなものは出てきません。ただ、その時は血液の塊が本当にゴロゴロ出てきたのです。
それは、つまり常位胎盤早期剥離が起きていた、ということ。
胎盤が剥がれて子宮の壁との間にスペースが見えていたのは、そこに血液の塊が大量に溜まっていたのです。
帝王切開を決めたあとは超音波をする時間がなかったので、最終的にどのような超音波所見になっていたのかはわかりませんが、おそらく胎盤と子宮の間には相当大きなスペースが見えていたのだと思います。
一番初めに超音波をした時は、胎盤が剥がれ始めた最初の段階だったのでしょう。
その後、徐々に胎盤が剥がれて行き、赤ちゃんが亡くなる前に何とか出して上げられたのだと思います。
文字通り、
赤ちゃんの命を救えた
と思えた瞬間でした。
正直、帝王切開自体に批判的な意見があるのも知っています。「自然」なお産が素敵だ、という考え方もわかります。
ただ、この時のお産が、もし「自然」に経過していれば、赤ちゃんは「自然」に亡くなっていました。
自然に抗って、不自然な形であったとしても、産婦人科医として赤ちゃんの命を救えたのは、とても意義のある行為だったと思っています。
結果的に大変なお産になりましたが、お母さんも赤ちゃんも予定通りに退院することができました。
もう何年も前の話なので、今ごろは赤ちゃんも元気に幼稚園に通っているのかな、と思うと感慨深いものがあります。