平和島レディースクリニック

診察室では説明しきれないことを中心に

父の三回忌

早いもので、もう父の三回忌がやってきます。

 

大学以来、実家から出て暮らしているので、いまだに実家に帰れば、父がいるのではないか、と思うほど、月日が経つのは早いものです。

 

私は、父が40歳の頃に産まれました。そのため、姉曰く

 

本当に可愛がられていた

 

そうです。

 

事実、父に怒られた記憶が一度もありません。

 

人並みに反抗期はありました。高校を勝手に遅刻早退したことなんて、数えられないくらいあります。

 

卒業式もサボって、母にはこっぴどく怒られましたが、父は一言も怒りませんでした。

 

温厚

 

を絵に描いたような父で、今でも私が最も尊敬する人間です。

 

いつか父のような人間になりたい、と心から思っています。

 

そんな父が生前、病床にある時、なぜそんなに温厚でいられるのか尋ねたことがありました。

 

すると、父は

 

「怒ることだってある」

 

と答えたのです。でも、私は一切怒られた記憶がありません。

 

 

 

「以前勤めていた会社で、よく遅刻する後輩がいて、他の上司からは煙たがられていたけど、私が指導役だったので、よく可愛がっていた。

 

ある時、私が出張で数日間不在にしており、久しぶりに会社に行くと、その遅刻ばかりする後輩がクビになっていた。

 

指導役である私に何の断りもなく、人事の連中が勝手なことをしたから、人事課に怒鳴り込みに行き、そのまま辞表を叩きつけて仕事を辞めた」

 

とのこと、、、

 

父さん、熱いじゃないですか!!

 

いつもの温厚な父からは想像もできないエピソード

 

また、別の会社では

 

「小さい会社に勤めていた時、ある特許技術の開発に関わっていた。

 

何とか完成させて、特許を申請したら、超大手企業が同じような特許を遅れて申請してきた。

 

このままでは、大手に特許を持って行かれて会社が潰れる。

 

私は、国立図書館に何日も何日もこもり続けて、大手の特許には穴があることを見つけた。

 

それを直属の上司に渡したのだが、特に何も起きない。それどころか、その上司が辞めてしまった。

 

その上司は、私が見つけた特許の報告をもって、その超大手企業に転職していたのだった。

 

それを知った時は、その元上司のところに怒鳴り込みに行った」

 

父は熱い人間でした。

 

こんなエピソードを聞くまでは、本当に何をされても怒らない人間なんだと思っていましたが、そうじゃなくて、許せないことには熱くなる人間なんだと、初めて知りました。

 

 

 

病床で弱っていく父を何度も見舞いに行きました。

 

枕元で、この本を読んでくれ、と頼まれて読んであげたりもしました。

 

最期に父と別れる時には、しっかり握手をして、

 

「ありがとう。本当に尊敬しているし、父さんのようになりたいと思ってる」

 

と伝えることができました。

 

 

 

その数日後、父は亡くなりました。

 

母のいる病室で静かに眠るように息を引き取りました。

 

 

もっと元気な時に、いろんなところに一緒に行きたかったな、と思いますが、最後に父への感謝を直接伝えられて良かったと思っています。

 

明日は、父の三回忌

 

墓前で、また感謝を伝えてきます。